【自己紹介】【ver0】 医療現場のガチな修羅場をくぐった脳外科医が、あなたの「つらい頭痛」になぜ本気で向き合うのか
救急の最も厳しい現場から医師としてのスタートを切り、脳外科医となり博士課程に進学し、AIを本気で使う理由
こんにちは。脳神経外科専門医の山本俊です!
自分についてこれまで紹介できていませんでした。
ver0としたのは、今後様々な転機を迎えたのちに自己紹介を更新する必要が出てくると考えているからです。
今回の記事は、2026年現在までの自己紹介になります。
ご覧の通り医師としては若輩者ですが、もし興味がありましたらよろしくお願いします。
本記事では、医師としての若手時代から脳神経外科専門医となり、AIに関心を持つようになった今に至るまで、各時期のダイジェストを交えながら一つの記事にします。
▼来歴▼
2018年 名古屋大学医学部医学科 卒業
2018年 岐阜県 大垣市民病院 初期研修医
2020年 岐阜県 大垣市民病院 脳神経外科医
2022年 愛知県 岡崎市民病院
2023年 名古屋大学大学院医学系研究科 博士後期課程入学
2023年 7月 名古屋大学附属病院
2024年 1月 豊橋市民病院
2024年 10月 名古屋大学附属病院
2025年 外勤先(愛知県渥美病院)で頭痛外来を開設
2027年 博士号所得予定
①2018年。救急において日本でも有数の忙しさの野戦病院にて初期研修を積む。
名古屋大学を卒業後、私が研修先に選んだのは、岐阜県の大垣市民病院という病院でした。
この病院では、救急車の搬送台数が1年で1万台近い、東海地方では少し有名ないわゆる「野戦病院」です。
救急車がどのくらい来るかを示す分かりやすい話。
その病院では救急車を「断る」という概念がありませんでした。5台以上の救急車を受けると、搬送された患者さんが「壁」にストレッチャーで並んでいきました。それを現場では(重症者のトリアージをした上で)壁① 壁②… と番号をつけて呼んでいました。かなりクレイジーだったと思います。
あえてこのような病院を選んだのは、医師として最初の数年が、「傾きを決める」と思ったからです。
一度ぬるい環境に身を置けば、厳しい環境に変えることはできない。しかし、厳しい環境に自分を最初に置けば、その後いかようにもなるだろう。そんな発想でした。
以前別の記事で自分を熱い人間だと表現しましたが、それが少しご理解いただけるかと思います。もし興味があればご覧ください。
ここでの経験は自分の医師としての力をまちがいなく磨きました。
次々とやってくる救急車をたった一人でリスクマネジメントする。
鬼教官のようなER(救急外来)の怖い先生の指導を罵声を受けながら必死にこなす。
その経験が間違いなく今の自信につながっています。
また、
コロナ渦の最も大変な時期に、研修医〜若手脳外科医としてER(救急外来)で最前線の勤務をした。
ことも、辛かったですが重要な経験となりました。
② 2020年。脳外科若手としての激務をこなす。呼び出しに即座に病院に駆けつけるため「背中にスマホを敷いて寝ていた」。
脳神経外科医を志していた私は、順当に若手脳外科医としてのキャリアを始めました。
脳神経外科医になった理由は、自分が外科手術に適性があると考えたことと、何より「脳」に強い関心があったからです。
この時代は、脳外科医として8時間くらいの長時間手術は当たり前でしたし、その後の病棟管理も基本的に自分一人でやっていました。大変忙しかったです。
さらに忙しさに輪をかけたのは、脳血栓回収療法という治療でした。
これは、脳の大きな動脈が血栓で詰まってしまう「脳梗塞」に対して、カテーテルで直接血栓を取りに行くことにより、脳梗塞をすっかり治してしまうという画期的な治療です。
Time is Brain.
という言葉があります。
これは、脳梗塞になった人の脳は一秒単位で脳細胞が死んでいくため、とにかく急げ!ということを端的に表現する言葉です。
当時、驚くべきことに、その呼び出しをただのLINEメッセージで行っていました。夜中の3時だろうと、です。
しかしその病院では、そんな時間のたった一回のラインの音に全ての脳外科医が反応し、呼び出しと同時に全力で走り出すくらいの速さで病院に駆けつけました。
本当に尊敬すべき上司たちでした。
私はその呼び出しに備えるため、いつもスマホを背中に敷いて寝ていました。たった一回の振動も逃さないために。
③2021年。『土日も必ず患者には会いに行け』患者さんにとって「特別な存在」となることが、医師としてのやりがいと知る。
外科系医師として最も大事だと上司から教わったこと。それは自分で手術をした患者さんを徹底的に大切にしろということでした。
直接言われたことはありませんでした。しかし尊敬する上司は、必ず土日も欠かさず自分が手術した患者さんを見にいきました。それを見習い、
私は土日祝だろうと欠かさず自分の患者さんを見にいきました。
若手医師なので手術は未熟です。でも、土日も見にいくことで、「この先生は自分のことを何より大切にしてくれる」そう思って貰えるようになりました。
そして、退院されても外来でずっと信頼関係が続いていく。そこに、やがて医師としてのやりがいを感じるようになりました。
④2022~2024年。半年ごとの転勤に疲弊する。脳神経外科専門医取得。
私を育ててくれた病院を「医局」の方針で去ることになった私に待っていたのは、半年ごとの転勤でした。
結婚して子どももいた私は、毎回引っ越しを自腹でしていましたが、当然疲弊しました。病院から引っ越しのお金の補助が出たのは一回だけでしたし、たまたまでした。
移動の最中同期と勉強会を開き、脳神経外科専門医を所得しました。勉強会のリーダーをやったりと、こういうことには積極的なタイプでした。
⑤2024年。博士課程で、AIを学ぶ。
2023年から、医局の方針で博士課程に進学しました。時系列がおかしいと思うかもしれません。なんと博士課程に進学しても最初は大学にいさせてもらえず、2023年から2024年にかけては異動を繰り返していました。本格的に勉強を始められたのは2024年からでした。
博士課程への進学もこれも医局の方針ということに、驚く人もいるかもしれません。私は当初はAIをやるとは思っていませんでした。
しかし、進学したからには、何か自分の身になるものを身に付けたい。なぜなら「身に付けた能力は誰にも奪えないから」。そう考え、AIの勉強を開始しました。
AIやデータサイエンスについて、通勤中の電車の中で本を読みあさりました。今も勉強の途中です。
⑥2025年。外勤先で自ら頭痛外来を開設する。
2023年ごろの転勤の最中から、本格的に頭痛診療を行うようになりました。
2021年に登場した画期的なお薬により、「片頭痛」が劇的に良くなる時代が到来していたことが最も大きな理由でした。
その画期的な薬の鍵となるのが、「CGRP」という物質で、それをブロックすると片頭痛が劇的に良くなり、毎日の頭痛に悩んでいた人が、人生が変わる瞬間を数多く目撃しました。
詳細はこちらでも触れていますので、よければご覧ください。
ここで、
頭痛診療は、僕が大切にしている患者さんとの信頼関係を、まさに体現したものである
と感じました。
信頼している医師だから、治療を任せられる。治療を任せた結果、人生が変わるほどの経験をする。それを患者さんと共有する。ここに何よりの喜びを感じました。
確かに頭痛診療は外科手術はしません。ですが、手術ではない形で患者さんの人生をすっかりよくできるような方法が、あるのだと感じました。
何より、脳外科医としての経験により、命に関わる危険な頭痛を見つける能力を活かせるため、患者さんからの安心感があると思っています。同時に、
いかに頭痛の治療が世の中に浸透しておらず、多くの「頭痛持ち」の人が市販薬で我慢して毎日を過ごしていることかと、痛感しました。
そこで、2025年、頭痛診療の全く浸透していない田舎の病院で、全く無いところから頭痛外来を開設しました。
今も毎週、外勤先として、週に一回新幹線で赴いて頭痛診療を行っています。
⑦2026年。AIエージェントの劇的な進化についていく中で、その面白さに取り憑かれる。
大学院生として様々なAIやデータサイエンスの関わる研究を行う中、2025年ごろから最先端のAIの動向をチェックしていました。
そんな中、2026年に入って、驚異的な速さでClaude, ChatGPTをはじめとしたAI、そしてClaude Code, CodexといったAIエージェントの発展に拍車がかかってきました。
その最先端を追いかけていたところ、AIによって人間の労働、知的生産が根本的に変わることを確信。医療分野でもこの進化を現場に繋げ、実装することの重要性を感じました。
今も一日単位で変化していく状況の中で、何ができるのかを常に考えて、毎日を過ごしています。様々なビジョンもあります。
自分のキャリアに関しても深く悩んだり考えたりしている、毎日です。
今後も私の活動や発信を応援していただける方は、ぜひよろしくお願いします。
頭痛診療についての発信や、自分の脳をAIとどのように適応させて生きていくべきなのか、医療DxやAIについての実体験など、今後も引き続き発信したいことがたくさんあります。
ぜひ購読もしくはフォローしていただければ幸いです。






山本先生、ERでの修羅場から頭痛外来の立ち上げ、そしてAI最前線の探求まで、凄まじい熱量と軌跡ですね!一気に読み入ってしまいました。
病院事務長としてマネジメントに携わる立場から見ても、「背中にスマホを敷いて寝ていた」という先生方の当事者意識や、「身に付けた能力は誰にも奪えない」と博士課程でAIの修得に踏み切る覚悟には、心から敬意を表します。この圧倒的な原体験があるからこそ、先日のポッドキャストでも感じた「患者さんの人生を良くするための力強いAI活用(知的生産)」へと繋がっているのだと深く腑に落ちました。
はじめまして
ちょうど自分が愛知県豊橋市出身なのと、理学療法士がベースでいろいろな取り組みをしているのもあって、共感するとともに応援したくなる自己紹介でした
頭痛に悩む方と関わる機会もあるので、またいろいろ学ばせていただけたらと思います